「やめたあと」子どもの変化とわたしの気持ち

中学受験をやめた我が家に起きた小さな変化たち


受験をやめた、あの日から

娘が「受験をやめる」と自分の口で言った日。
それは、親である私にとって、少し切なくて、でもどこかでホッとした、そんな日でした。

中学受験という大きな目標を手放したあと、家族の時間の流れが明らかに変わり始めました。


家族に広がる“変な空気感”

正直に言います。
それまで家の生活は、完全に娘の受験を軸に回っていました。

  • 食事の時間
  • 兄弟の遊び方
  • 土日の予定
  • テレビの音量まで

全部、“受験生の長女ファースト”。

それが突然なくなり、「合わせなくていい」という感覚に家族全員が戸惑ったんです。
気が抜けたというか…“何をしていいかわからない”ような、そんな妙な空気が流れていました。


娘の変化。「我慢してた時間」を取り戻すように

いまの娘はというと――

  • 好きな絵をのびのび描いたり
  • ピアノを気ままに弾いたり
  • 友達と公園で遊んだり、買い物へ出かけたり

本当に楽しそうです。

「ずっと我慢してたんだな」と感じる場面がたくさんあります。

今までだったら「勉強の時間でしょ」と言って止めていたことを、今は自由にやらせています。
そんな姿を見て、わたしは少し安心した気持ちになっています。


一方、夫はイライラ気味…

でも、夫は真逆の反応でした。

「受験やめた途端にこれかよ。」
「全く勉強しないってありなの?」
「高校受験もあるのに、今から何かやらせるべきだろ?」

…と、わたしに苛立ちをぶつけてきます。

夫なりに「将来を考えての焦り」なんだろうと思います。
でもその焦りが、私には今、重たく感じてしまう。

正解なんて、誰にも分からないのに…。


正解が分からないから、夫婦で“話す”しかない

受験をやめた今、
どう過ごすのが正解なのかは、正直誰にも分かりません。

  • 好きなことをして自由に過ごすのも、
  • 勉強習慣を維持するのも、
  • どちらにも意味があると思っています。

ただ、一つ言えるのは、
このまま夫婦の考えがズレたままでは、娘が一番困るということ。

だから今、必要なのは「夫婦の対話」なんですよね。
お互いの考えをぶつけ合うのではなく、受験を終えた娘にとっての“次のステップ”を一緒に考える時間


受験をやめて分かったこと

受験をやめてから、私が気づいたこと。

  • 目標があってもなくても、子どもの人生は続いていく
  • やめるという選択も、前を向くための一歩である
  • そして、親もまた迷っていい、悩んでいい

娘のように、「今を楽しむ」ことを許してあげる時間も大切だと、心から思います。


今後どうする?

我が家のこれからの方向性は、まだ定まっていません。

でも、

  • 「受験に挑戦した」という経験
  • 「やめる決断を自分でした」という経験

これが娘の人生にとって、決して無駄にはならないはず。

次に何をするのかは、これから一緒に見つけていければいい。
親として、焦らず、比べず、見守る覚悟を持ちたいと思います。

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